霖のあと

詩置場

名前の主

繰り返す夏と秋と冬と春の中で

繰り返す日の出と日の入りの中で

記憶の糸を解いて

名前を呼んだ

 

信仰の声色は色褪せ

乾いた習慣を抱いた

名前を呼ぶたび

名前の主の不在を知る

 

傷跡は触ると治らないから

ずっと残しておきたければ

絶えず触っているがよい

 

記憶とも判別しかねる

記憶を撫で

なお名前を呼ぶ

白髪の少年

昨日の夢の中に出てきた白髪の少年にもう一度会いたい。髪は癖がなくさらさらで、瞳が明るいブラウンで、細身で、肌が白かった。理知的で、彼の話しぶりとその内容から、頭がよく教養もあることをうかがわせた。白いシャツがよく似合っていた。中性的で、ヘッセの小説に出てくるような、または「草の花」の藤木を思い浮かべるような風貌だった。私は彼のパートナー役で、私は女性になったり男性になったりしていた。英語はそんなにわからないけど、辞書を引きながら英語を読むのに夢中になっていて、日本語にない英語の表現を知るとワクワクするのだと話していた。私は彼に「あなたの瞳は美しい」と言った。瞳だけじゃなくて、胸元と首筋がほんとうにきれいだった。

夢の中で、私は死んだり生き返ったりを繰り返して人の子ではなくなっていて、大きな屋敷の一画に住んでいたようだ。とある紳士と共謀して丸々太った夫を殺して食った夫人に、その屋敷を出ることを告げた。人の子でなくなった私は、同じ人の子でない少年と生きることを望んでいた。手のひらの中にあったピンク色の小さな造花を握り締めて。どうにかして彼にまた会いたい。

近況20220910

東京を離れて実家にいる。無職である。

前職場に記入を頼んだ傷病手当金の書類が返ってくるのと任意継続保険の保険証が来るのを待っている。もらった診断書には「うつ病」と書いてあって笑ってしまった。本当かよ。

 

 

 

 

※以下、希死/自殺念慮の描写があります

 

 

 

 

 

 

 

 

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転職してから、ずっとしんどかった、しんどかったけど眠れないわけでもなく、なんとか食べられてもいるし、楽しいことは楽しいと思えるし(以前より減っているけれど)、薬を飲みながら仕事に行き続けていた。ちょっとした業務上のトラブルだった、別に私のせいでもない、何てことないトラブルだったんだけど、私の職場での心細さはピークに達していて、もう耐えられなかった。帰宅後、洗濯と洗い物を済ませ、荷造りをして、結構な時間を費やしても気持ちは変わらなくて、私は着替え数枚と楽器を持ち、携帯はベッドに置いて自宅を出ていた。暗い夜道を、何でこんなことになってしまったの、と泣きそうになりながら、でも足取りはとてもしっかりしていて、まっすぐ実家に向かっていた。後のことは全然考えてなくて、でも、とにかくもうそこにはいられなかった。誰とも連絡がつかないことで一時行方不明となった私は捜索願を出されたが、実家で祖母に発見され、警察立会いのもと母親に引き渡された。会社は辞めることになった。

 

2か月前の7月4日、職場からの帰り道、今なら死ねると思った、妙に気持ちが落ち着いていた。帰りの電車の中、そのことしか考えられなかった。死にたくなったら自宅のマンションから20分くらい歩いたところにあるでっかい川に橋から飛び込むのだと前々から決めていて、私の命日は7月4日か、7月4日の出来事特に何も知らないな、と思いながら川へ向かっていたのだけど、死ぬ前に冷たい水を飲んでおきたくなった。スーパーによってペットボトルの水を買い、駐輪場の柱に寄りかかって水を飲んでいたら、自分が生きる方に傾いていて、川ではなくコンビニに寄って帰った。

次の日起きて、今日仕事が終わったら死のうと決めて電車に乗ったが、自分が死ぬことを考えながら仕事をすることは不可能だと気付いて乗り換えの駅で休みの連絡を入れた、手は震えていた。とんぼ返りして昨日行くはずだった川へ向かった、引き返すこともなく迷うこともなく。橋の上から川を見下ろすと意外とちゃんと怖くて、河川敷に降りて川を眺めながら覚悟が決まるのを待ったり、橋の上を何往復がしてみたりしたが結局無理だった。別の方法をとるべく川を去ってスーパーでお酒を買った。ウイスキーの梅酒割、一気飲みをするにはあまりにも濃すぎた。急性アルコール中毒にもなれない中途半端な量を飲んでただ酔っ払った私は、寝たり起きたり、その合間にいのちの電話に繋がらないかトライしてみたりしていて、そのうち電話が繋がったので朝からの出来事を話してみたけどどうにも噛み合わないまま終わってしまった。

そこまで来て、いよいよ私は病院へ行くべきなのではないかしらん、と、散々渋っていた精神科受診を決意した。昼過ぎでも当日の初診予約ができるところ、という条件だけで決めた病院は混んではいたが医師は好印象で、よく話も聞いてくれ、数種類の薬を出してくれた。

 

新卒で入った職場は、まあ苦手な人間が何人かいたり、やや治安が悪かったり、メンタルに悪い話題をどうしても毎日取り扱わなければいけないしんどさはあったが、土日祝分の振休は出してくれ、残業もなく、仕事の内容自体もそこそこ楽しく、2年目でもまあまあの信頼を得られていた。手取りがあと5万あればあと1年は続けていたと思う、収入がいちばんのネックだった。体調不良で休むこともなく、社会人として一応ちゃんと働け、趣味の時間も取れ、「普通の人間」として生きていけるという自信をつけていたが、さらに「普通」に近づくには収入が必要だった。給料の低さで悪名高い当時の職場はなんとしても抜け出さなくてはならず、人生初の転職を試みた。「普通の人間」の振る舞いを身に着けた私は2社の面接を受けて両社とも合格し、「普通の人間」としての自信を更に高めた。

2社目―「前職」も残業はそれほど多くもなく、休みも土日祝取れた、人間関係も凪いでいた。入社後のストレスは強かったが、それは前の職場でもアルバイトでも同じで、3か月も経てば落ち着く類のものだと思っていた、でも4か月経っても半年過ぎてもずっと不安で心細いままだった。仕事については良い評価を得ていて、新しいプロジェクトに参加させてもらう話があった。そうした話は一時的に私に希望を与えたけど、日々の業務は常時私を不安にさせた。自分のやることなすこと、何もかも信じられなくて、チェック作業で膨大な時間と精神をすり減らした。増えた収入は「ストレス解消」―主にコンビニ、外食、交通費、書籍代に消えていった。CDや楽譜はめっきり買わなくなった。

 

私が自殺を試みるのは3度目で(2度目はあまり死ぬ気がなかったから今回が2度目かもしれない)、最初が高校3年生だった。大学を休学したとき、もう自分は「普通の人間」として生きていけないだろうと思った。せめて今自分がやりたいことを、と専門学校に行き、アルバイトをしていたら、自分が思いがけず「普通の人間」たり得る体力とコミュニケーション力を持ち合わせていることに気付いたので、「普通の」社会の中で生きることにした。専門学校入学前に埼玉に引っ越してから転職まで、5年間何事もなくて、いつしか死にたくなくなっていた、私はもう大丈夫、健康で元気で幸せだ、そう確信していた。オーバードーズで救急車で運ばれたときのあの情けなさはもう経験するまい、と思っていた。

精神病は、希死念慮は、私の中にすっかり巣食ってしまっているのだろうか。あと何回働けなくなって、あと何回失踪して、あと何回自殺を図るのだろう。それは何年後に再び襲ってくるのだろう。働けないわけではない、と思うのだけど、こうも繰り返すと心が折れてしまう。強烈な希死念慮の真っ只中、自分はこの世で生きていく方法のない人間なのだ、仕方がないのだ、という考えに取り憑かれていて、その考えは今も(今だからこそ)私を魅了する。(これは他の人の自殺も肯定してしまうので非常に危ない、自分だけに適用することもできないししてはいけない)

せめて薬を飲みながら数か月休めば治る病であってほしい、もう二度と死にたいとか思いたくない、思いたくなかった、自分の生を疑いたくない、疑いたくなかった。

 

実家に戻ってから寝付きが悪くなったのは、働いてないからか、経済的な不安か(傷病手当金の入るのが遅いと聞いているので)。母は私の今後についてのんびり構えてくれていて、それがありがたく、非常に申し訳ない。

青の温度

若い星は青い

温度が高いと青く見えるのだ

いつだったか理科で習った

 

青空の温度は高い

街を 道ゆくヒトを

まっさおの光で灼く

かげおくりをしてみたら

影まで青で灼かれたので

アスファルトの青いシミになった

灼かれたからだは

灼かれたこころは

空と同じ青になって

空に吸い込まれていく

どれだけ空を探しても

見えないようになっている

今日も空になりたいと 密かに

願ってベランダに出たヒトを

青空は目敏く灼いていく

とけちるよる

あたためられた まち

ほてった からだに

ここちよい すこし つよい

かぜ そらは

くもが あつい こんなよる

なら やみにとけて

きえゆくのも いつもより

やさしいかもしれない

 

さくらの はなびら

の ようには ちれなくて

はなが ちりかけている

さくらの きのような いきかた

でも よいのなら